天孫神社例祭の大津祭は、湖国三大祭(大津祭・日吉山王祭・長浜曳山祭)の一つです。
毎年、10月上旬の土曜日に宵宮、日曜日に本祭が行われます。宵宮では、13基の曳山と神楽山(宵宮飾り)・布袋ねりもの(宵宮飾り)・お神輿が見れます。
大津祭は、いつから始まったかは不明ですが、寛永12(1635)年には記録がある事から、江戸時代はじめ頃が始まりではないかといわれている。
京都の祇園祭に似ている事から「ミニ祇園祭」とも言う人もいますが、祇園祭の山鉾とは役割が異なります。祇園祭の山鉾は、八坂神社から出る神輿渡御の前に、町を清める露払いが役目です。
ただ、曳山の形から祇園祭の山鉾の影響を受けたのは間違いありません。
【公式サイト】天孫神社
【公式サイト】大津祭曳山連盟
【大津祭アクセス】JR 大津駅(京都駅から大津駅まで乗車時間約9分)
【京都観光研究所】祇園祭山鉾一覧
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西行桜狸山は、大津祭最初の曳山。唯一の「くじ取らず」で巡行の先頭を行く。祇園祭山鉾なら長刀鉾のような位置づけです。
慶長年間(1596-1611年)、塩売洽兵衛なる者が天孫神社境内で木製の狸の面を付けて踊りをしたのが起りという。
【大津祭本祭】西行桜狸山巡行
この山は、能楽の「猩々」に因んだものである。すなわち「昔中国の揚子の里にコウフウー高風という人がおり、親孝行であった徳により夢の中に奇瑞があらわれた。それはコウフウが揚子の街に出て酒を売れば必ず富貴な身分になるだろう、ということであった。彼はこのお告げに従って酒を売っていたら、海の中に住む猩々が来て酒を飲み、舞に興じた後、コウフウの正直な心に感じて酌めども飲めども尽きない酒の泉を与えられた」という故事によったものである。
【大津祭本祭】猩々山巡行
むかし国栄え、民の生活が安定していたとき、西王は天から舞い降り、天子に桃の実を捧げた。この実は唯の実でなく、三千年に一度開花し、唯一つだけ実るもので、これを捧げたのは天子の齢を祝い、世の平和を祝福したものである。
【大津祭本祭】西王母山巡行
由来は「神功皇后が三韓へ行かれる前に、今の長崎県北松浦在の鮎釣り岩で真直な釣針で鮎を釣り上げた時の説話に基く」としており、又この時皇后は懐妊中だったが、同所で後の応神天皇を安産、よって安産の神として市民が信仰しているという。
【大津祭本祭】神功皇后山巡行
月宮殿山、鶴亀山とも呼ばれるこの山は能楽「鶴亀」に因んで名付けられたという。
見送りは、ベルギー製の毛綴は、トロイ城が落城するなかアイネイアースが父を救出する図柄。龍門滝山や祇園祭の白楽天山に分割された一部。
【大津祭本祭】月宮殿山巡行
祇園祭にも同じ題材の郭巨山があります。
この山は「釜掘山」とも言い、中国二十四孝の一人、郭巨の説話にもとづく山である。
【大津祭本祭】郭巨山巡行
この山は恵美須山(えびすやま)あるいは鯛釣山(たいつりやま)といい、市役所の資料によれば最初は宇治橋姫山と言ったとのことである。そして明暦二年(1856年)にでき、のち延宝年中に西宮恵美須山にかわった。
【大津祭本祭】西宮蛭子山巡行
祇園祭にも同じ題材の鯉山があります。
鯉山は別名を竜門滝山ともいう。登竜門の語もあるように、滝と鯉とがあらわきれている。
【大津祭本祭】龍門滝山巡行
殺生石山は玄翁山とも言い、遅くとも寛文二年(1662年)以前に造られたという。この山の由来については同資料に「能楽・殺生石を取り入れたもの。鳥羽院に寵をうけた玉藻御前は実は金毛九尾の古狐で、帝の生命を縮めんとしているのを安部泰親に発見され、東国に逃げ上総国三浦之介に退治され、殺生石となる。そして那須野ケ原で農民を悩ましていたが、玄翁和尚の法力で解脱(成仏)する。」という説話に基づくという。
【大津祭本祭】殺生石山巡行
紫式部の源氏物語を題材にした、大津に由来したカラクリを採用。
源氏山は別名紫式部山ともいい、大津市石山寺や紫式部に因んだ装飾を持っている。
源氏山のお囃子動画
【大津祭本祭】源氏山巡行
湯立山の創始は曳山中最古で寛永3年(1826年)と伝えるという。天孫神社の祭事に湯を奉献する行事があり、その湯はこの山から捧げ、この湯をかけられた人は五穀豊穣、悪疫退散、商売繁昌すると縁起を祝う。
【大津祭本祭】湯立山巡行
その由来については、蜀(中国三国志参照)の諸葛孔明が魏の曹操と戦ったとき、流れる水を見て「敵の大軍を押し流す大水を与えてほしい」と祈ったところ、この祈りが通じたのか大洪水が起り、押し寄せた魏の大軍は木の葉のように流れてしまったという故事によると伝える。
【大津祭本祭】孔明祈水山巡行
能楽「石橋 しゃっきょう」に因むもので、その由来は天台宗の僧の寂昭が仏道修業のため宋国に渡ったが、ある時青涼山(天台山)の中で文珠菩薩の浄土と伝えられる一つの険しい石橋を渡ろうとしたところ、獅子が岩陰の牡丹にたわむれているのを見たことから来ているという。
【大津祭本祭】石橋山巡行
安政6(1859)年を最後に巡行しなくなり、現在は宵宮飾り。
三輪明神と市殿(いちどの)、祢宜(ねぎ)、飛屋(とびや)の四体が曳山に飾られ巡行していましたが、明治5年(1872)の巡行を最後に登場しなくなりました。
元禄6年の当時は、趣向を凝らした「ねりもの」17ヵ町と曳山8ヵ町が巡行していたといい、ねりものは造り物による仮装行列、または山車の類をいいます。大津祭のねりものとして残る唯一のもの。
二階からカラクリ仕掛けを見学することができます。
館内では原寸大の曳山模型を中心に、町並みの様子を再現。
【関連ブログ】大津祭本祭
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【公式サイト】天孫神社
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