坂本龍馬ゆかりの地(前編)からつづき
おりょう独身時代寓居跡から北へ歩く。三条通から一筋南の通り(通称龍馬通り)に龍馬がかくまわれていた酢屋があります。
酢屋↓
酢屋は、288年続く材木商で、当時主人が近くの土佐藩邸に出入りしている縁で龍馬をかくまうことになったそうです。現在の建物は、改装されていますが当時のおもむきを残しています。上の写真、左に見える格子の部屋に龍馬はいたそうで、海援隊本部としも使われていたそうです。ちなみに、二階の部屋から龍馬がピストルを撃ったという逸話も残されています。(むちゃするな・・・・ ^^;)
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酢屋の前には坂本龍馬寓居跡↓
酢屋から西へ歩き、河原町通りを南に歩いて行くと坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地碑があります。
坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地碑(近江屋跡)↓
酢屋にいては危ないという事で土佐藩御用達の醤油商・近江屋に移ります。しかし、1867(慶応3)年11月15日夜坂本龍馬と中岡慎太郎は何者かに襲われてしまいます。
新創社の京都時代MAP 幕末・維新編にある坂本龍馬暗殺によると。
坂本龍馬暗殺(一部省略)
その夜、近江屋で何が起こったか
数名の武士が十津川郷士と名乗って龍馬に会いに来た。二階の奥の部屋には手前に中岡、行灯と火鉢を挟んで龍馬が向かい合っていた。受け取った名刺を見ていると、藤吉について上がってきた武士が突然「コナクソ」といって中岡を斬り付けた。
龍馬は床の刀を取り、鞘を付けたまま受け止めるが、力に押されて背中を肩から脇へ斜めに斬られ、乱闘のうちに額を斬られてしまった。
龍馬と中岡が動かなくなったのを見て武士の一人が「もうようい、もうようい」と言うと全員が立ち去った。
暗殺者たちが出て行くと、龍馬は行灯をもって階段の側まで行ったが「石川(中岡の変名)刀はないか」と何度か叫んでそのまま力尽きてしまった。
と書かれている。
暗殺者が誰なのか今でも謎のままです。ちなみに、この時まきぞいになった藤吉のお墓は京都霊山護国神社の坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓の隣にあります。
京都時代MAP 幕末・維新編
新創社
ここから、少し離れますが三条通りにある東山ユースホテルの前に坂本龍馬・おりょう結婚式場跡があります。
坂本龍馬・お龍結婚式場跡↓
説明によると(一部抜粋)
坂本龍馬・お龍結婚式場跡
当地は青蓮院の旧境内で、その塔頭金蔵寺跡です。元治元年(1864)8月初旬、坂本龍馬と妻お龍は「内祝言」、すなわち内々の結婚式をしました。
龍馬とお龍の出会いや「内祝言」の具体については1899年(明治32)ごろに聴き取られた、彼女の回想に詳しい。お龍は1906年まで生きていました。
一般には、慶応2年(1866)1月の伏見寺田屋遭難のあと、西郷隆盛(あるいは中岡慎太郎など)の媒酌で二人は夫婦の契りを結んだようにいわれます。が、この話は根拠が薄く、他の資料の検討からお龍の話こそ信用すべきと思われます。
と書かれている。
更に場所が離れて、清水寺近く三年坂の明保野亭。坂本龍馬もここでたびたび密会を行っていたそうです。
明保野亭↓
京都市観光案内所で「龍馬と歩く京のまち」散策マップが無料で配布されています。pdfファイルのダウンロードも可能です。京都にある龍馬ゆかりの地を巡るのに大変便利です。
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