妙満寺は、日什大正師(にちじゅうだいしょうし)により六条坊門室町に建立、1583(天正11)年寺町二条に移され、1968(昭和43)年現在の地に移ったと言われています。
妙満寺山門↓
妙満寺山門をくくると仏舎利大塔が目に入ってくる。
仏舎利大塔↓
仏舎利大塔は、仏教の聖地インド・ブッダガヤの大塔をイメージし作られています。
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本坊から見た雪の庭↓
立て札には(要約)
『雪の庭由来
俳聖芭蕉の師と言われる松永貞徳の造営せるのもで、本園と同時に清水と北野にも庭園を作り、清水を”月の庭”北野を”花の庭”と呼んだのに対し、本園を”雪の庭”と称し、三者並べて”雪月花の三名園”と言われしものである。』
と書いてある。
雪の庭↓
雪の降り積もった日に一度見てみたいものです。
妙満寺には、”安珍・清姫の鐘”という伝説の鐘があります。
伝説では
『熊野詣に来た僧(安珍)が、国牟婁群眞砂の庄司の家で一泊させてもらう。
家の娘清姫は、安珍に一目ぼれしせまるが、
「参拝後、帰りに立ち寄るので待って欲しい」
と言われる。
しかし、安珍は参拝後立ち寄らなかった。
騙されたと思った清姫は、怒りの余り大蛇に姿を変え安珍を追う。
安珍は、日高川を渡り道成寺の鐘の中に身を隠したが、大蛇はその鐘に巻き付いて炎をはき焼き殺してしまった。
その後、大蛇(清姫)は入水する。』
といったお話です。
す・凄い執念だ (((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
伝説には更に続きがある
『約400年後、鐘を再興し鐘供養を営んでいるところに、白拍子(清姫の怨霊)が現れ呪力で鐘を引きずり下ろしてしまう。
その後、災厄が続いたため鐘は竹林に捨てられてしまう。
鐘は、”秀吉の根来攻め”の時に仙石権兵衛によって竹やぶから掘り起こされた。
後に、京都の妙満寺に持ち込まれ供養し怨念は解かれる。』
妙満寺の展示室では、この”安珍・清姫の鐘”が見れます。
”安珍・清姫の鐘”は、高さ約1mほどで想像していたより小さかった。
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