大徳寺の南にある智恵光院通りを少し下がった場所に、義経(牛若丸)の母常盤御前が使っていたと言われる常盤井があります。
現在の常盤井は、水は出ていません↓
場所を移し三条通と麩屋町通の交差点の近くに弁慶石があります↓
近くに書かれている説明文を要約すると
『この石は、弁慶が熱愛したと言われ、弁慶の死後奥州高館にあった石が「三条京極(弁慶が幼少時に住んでいた場所)に往かむ」と言い辺りに熱病が蔓延した。
土地の人は恐怖し、今から約500年ほど前に三条京極寺に移され、後に昭和4年7月12日この場所に建立された。』
と書かれている。
また、弁慶はこの石を五条大橋から投げたとも言われている。
このブログ弁慶伝説(前編)で書いたこのセリフが再び・・・・ (^_^;
うーん、恐るべし弁慶!恐るべし弁慶伝説!!
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五条大橋近くにある牛若丸と弁慶像↓
京の雑学でも書いてますが当時の五条大橋は、現在の場所より一つ北に位置する松原橋あたりに架かっていたそうです。
松原橋↓
しかし!牛若丸・弁慶の初めての出会い場所は、清水寺ではないか?五條天神社ではないか?とも言われています。
ちなみに、写真に写っている松原橋を渡り道なりに真っ直ぐ行けば、八坂の塔⇒産寧坂⇒清水寺へ行けます。
そして、松原橋を渡らず逆方向へ西洞院通まで歩き、少し南は下がった場所に五條天神社があります。
五條天神社↓
記念写真用の牛若丸と弁慶のパネルがなんとも・・・・・(^_^;
義経記では、五條天神社で一度戦い、翌日清水寺で戦ったと書かれているらしです。
つまり、旧五条通りのどこかで戦ったのには間違いは無いみたいですね。
義経記か・・・見る機会があれば是非読んでみたい (^-^)
五條天神社から南西方向に移動。
堀川通にある東急ホテル近くに左女牛井之跡があります↓
義経が過ごした六條堀川館の中にあった井戸の跡地で、昔は京都の名水の一つであったみたいです。
場所をかえて南の宇治市まで移動。
世界遺産の宇治上神社・平等院を南北に分けるように宇治川が流れています。
その宇治川に橘島という中州があり、そこには宇治川先陣の碑が建っています。
宇治川先陣の碑↓
義経が木曽義仲軍を打ち破った場所です。
増水している宇治川を、義経軍の佐々木高綱と梶原景季が先陣争いし川を渡ったエピソードがあります。
朝霧橋から見た宇治川↓
この川幅を馬と一緒に渡るなんて・・・・・
別の場所から↓
義経が渡った場所は、本当にこの辺りなのかな?
宇治川は、深くて流れが急です。
当時とは大分様子が違うとは思いますが・・・別の場所か?
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