東寺
- りょうたろう
- 2005-10-28 (金) 22:38
- 京都探索記(洛南)
世界文化遺産の東寺は、正式名称を教王護国寺といい平安京羅城門の東に建立された事が始まりとされています。
794年平安京に遷都された2年後の796年に東寺の造営が始まったと言われています。
794年の時点ですでにあったと思い込んでいたので、遷都した後で作られたとは意外だった・・・ (^_^;
東寺は、1336年足利尊氏が本陣を置いたり、1568年には織田信長が宿所として使われた場所でもあります。
写真右が南大門・中央五重塔・左が灌頂院↓
南大門をくくると正面に国宝の金堂が見えてきます。
金堂↓
金堂の後ろには講堂があり、その中では立体曼荼羅が安置されています。
絵とかで曼荼羅を表現しているは見ますが・・・
21体の仏像で曼荼羅を表現している立体曼荼羅は、圧巻の一言に尽きます!
東寺で最も目を引くのが我が国の古塔で最も高い五重塔です。
境内の瓢箪池を挟んでこの場所が最も美しく見える角度ではないでしょうか↓
落雷による焼失などがあり、現在のものは江戸時代に建立されたものです。
五重塔の初層は、正月三が日のみ一般公開されます。
東寺から九条通を西へ歩いて行くと小さな公園の中に羅城門遺址が建っています。
羅城門遺址↓
書いてある立て札には(要約)
『この地は、平安京の昔、都の中央を貫通する朱雀大路(今の千本通にあたる)と九条通との交差点にあたり、平安京の正面として羅城門が建てられていた。
門は2層からなり正面約32m奥行き約8m内側、外側とも五段の石段があり、その外側に石橋があった。
源義親を討伐した平正盛は京中男女の盛大な歓迎の中この門から威風堂々と帰還した。
芥川龍之介の小説による「羅生門」は、この門の名を世界的に有名としたが今は礎石もなくわずかに明治二十八年建立の標石を残すのみである。』
と書いてある。
この辺りに平安京の羅城門があったのか・・・
東寺の毘沙門堂の説明では、「天元元年(978年)7月9日大風に羅城門が倒壊」と書いてありました。
また、羅城門は渡辺綱が鬼女の腕を切った伝説の場所でもあります。
羅城門遺址から更に西へ歩いて行くと唐橋西寺公園があります。
唐橋西寺公園↓
比較的大きな公園です。
中央には、古墳のような小高い丘。
丘を登っていくと史跡西寺址がある↓
公園内の説明文には(要約)
『西寺は、平安京が遷都されてからすぐ延暦15(796)年頃から、平安京の入り口にあたる羅城門の西側に東寺と対称に造営された官寺である。
西寺は、東寺と比べて早くから衰え、天福元年(1233)には塔も焼失し、以降は再興されることなく地中に埋もれてしまった。
発掘調査が実施されて、主要な建物跡が次々と確認され、一辺が22mもある市内でも最大の井戸跡が検出されている。
寺域は、東西約250m南北約510mを有した。』
と書いてある。
説明文と一緒に書かれている復元図を見てみると、南大門・金堂・講堂・五重塔などの配置が東寺と対称的だった。
コメント:0
トラックバック:0
- トラックバックURL
- http://blog.kyotokk.com/20051028/2238-40/trackback/
- Listed below are links to weblogs that reference
- 東寺 from 京都観光研究所ブログ![お祭・歴史・グルメ情報や桜・紅葉の名所を綴る京都日記]
















