ポンペイ展を観に京都市京セラ美術館へ行ってきました。ポンペイ展では、有名なテーブル天板「メメント・モリ」「炭化したパン」「猛犬注意」などナポリ国立考古学博物館が収蔵する約120点もの品々が展示されていました。
京都市京セラ美術館
京都市京セラ美術館は、令和2(2020)年春、リニューアルオープン。
ヴェスヴィオ山噴火とポンペイ埋没
およそ2000年前。ヴェスヴィオ山を望む風光明媚な景観の中、ローマ帝国の植民市ポンペイが繁栄していた。
79年のある朝、ヴェスヴィオ山の噴火が始まった。ポンペイには火山灰と軽石が降り続け、その重みで次第に家々の屋根が落ち、街に残っていた人々は、そこに閉じ込められてしまう。翌朝には高温の火砕サージと火砕流が到達。街は死に絶え、埋没した。
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ポンペイ展は写真撮影OK(フラッシュNG・動画NG)の展示会でした。
ヴェスヴィオ山が大噴火
ローマ帝国の都市ポンペイが火山灰と軽石で埋没
ヴェスヴィオ山噴火は、ティトゥス帝の時代。一度の噴火でポンペイを飲み込んだと思っていたら、「ローマ人の物語」によると最初の噴火から5~6時間後にサージがポンペイを襲ったらしい。
火砕サージ
火砕流に似ているが火山ガスの比率が高いため密度が小さく、高速で薙ぎ払うように流動する現象。単にサージ(surge)ともいう。
ポンペイの人口は、推定1万5千人~2万人、犠牲者推定2千人~5千人?。ポンペイ市民全滅というわけではなく、人口2万人とすると、10人に1人~4人に1人が犠牲になった事になる。
当時の状況については、プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス(小プリニウス)が叔父の大プリニウスの死の様子を歴史家タキトゥスに手紙を送っている。詳しくは「ローマ人の物語23」に書かれています。
ガイウス・プリニウス・セクンドゥス
ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(Gaius Plinius Secundus、23年 – 79年8月または10月25日頃(推定))は、古代ローマの博物学者、政治家、軍人。ローマ帝国の属州総督を歴任する傍ら、自然界を網羅する百科全書『博物誌』を著した。一般には大プリニウス(羅:Plinius Maior)と呼ばれる。
火山現象をくわしく調査したいとの熱意と友人らを救出しなければという思いから、彼はナポリ湾をわたってスタビアエ(英語版)に上陸し死亡した。
大プリニウスは、友人のポンポニアヌスの別荘があるスタビアに上陸したものの、海は荒れ逆風のため脱出できなかった。大プリニウスとポンポニアヌスは、入浴や夕食をしながら天候の回復を待ったが、海は一段と荒れ逆風のまま、最後はガスによる呼吸困難で眠るように亡くなったらしい。
女性犠牲者の石膏像
ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス像
水道のバルブ(銅と錫の合金ブロンズ)
ローマ帝国で水道をふくめインフラが充実。一方、日本は水稲耕作の弥生時代。
日時計
悲劇の若者役像と女性像(おそらく遊女)
劇の準備
剣闘士の武具(肩当て・すね当て・パレード用の兜)
音声ガイドによると剣闘士は意外と死ななかったらしい。
青い水差し(ガラス)・千華文ガラス杯・黒曜石の杯
ライオン形3本脚付きモザイク天板テーブル
エメラルドの眼のヘビ形ブレスレット
何故かヘビの装飾品が多かった。
テーブル天板(通称メメント・モリ)
「メメント・モリ」とは「死を忘れるな」の意。ローマ社会は、どの社会階級の者にも死が平等に訪れることこを強く意識していた。
死を示すドクロの左側には富と権力の表象が、右側には貧困の表象が配される。
ドクロの下に蝶と車輪、人生は「富と権力」「貧困」どちら側にも簡単に転ぶと暗示か?
炭化したパン
約2000年前、誰かに食べられるはずだったパン。
アレクサンドロス大王のモザイク
アレクサンドロス大王
ダレイオス3世
アレクサンドロス大王がアケメネス朝ペルシャのダレイオス3世を敗走させている場面を、縦3m超、横6m近い大画面に緻密に描写されている。
猛犬注意
ネコとカモ
葉綱と悲劇の仮面
恋人たち(ウェヌスとマルスか)
音声ガイドは説明の補足をしてくれるのでオススメです。
ナショナル ジオグラフィック TV ポンペイの秘宝 パート1
【京都観光研究所】京都市京セラ美術館
【公式サイト】特別展「ポンペイ」 Special Exhibition POMPEII
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