蛸石から少し歩くと目指す天守閣が見えてきます。
大阪城天守閣↓
入館料は、大人600円ですが、なんと!中学生以下は無料です。(2007年6月現在)
石段を上がり最初に見えてくるのが金明水井戸です。
金明水井戸↓
金明水井戸は、黄金水とも呼ばれ伝説によると豊臣秀吉が井戸の毒気を抜くため黄金数枚を沈めたと伝えられているそうですが、実際は江戸時代寛永元年(1624年)に掘られたものだそうです。
豊臣秀吉 ≒ 黄金 と言うイメージが伝説を創ったのかもしれません。
天守閣入り口には、号砲と呼ばれる大きな大砲が備え付けられています。
号砲↓
説明には
『号砲
この大砲は、全長348cm、砲口の内径20cm、外径40cm先込め式の旧式砲で、素材は青銅の一種と見られる。
明治三年(1870)から時刻を知らせる号砲として用いられ、はじめは日に三度、明治七年からは正午のみ空砲が大阪市内にとどろきわたり、「お城のドン」、「お午のドン」の名で市民に親しまれた。
火薬節約その他の理由により大正12?13年頃中止されたが、その時期と事情ははっきりしていない。』
と書かれている。
攻撃用ではなく時刻を知らせるものだったのか・・・・
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天守閣は、平成7年?9年にかけて大修復がなされたのでずいぶん綺麗です。
中は8階建てで、2階から7階まで展示場になっていて、最上階の8階は展望台になっています。
通常は、エレベーターで5階まで上がりあとは階段で上りますが、車椅子の方は最上階までエレベーターで案内してもらえます。
エレベーター↓
8階展望台から見た大阪市内↓
さすがに京都までは見えませんが、大阪市内が一望できて気持ち良いです。
天守閣の北側には、秀頼・淀殿ら自刀の地の碑があります。
秀頼・淀殿ら自刀の地の碑↓
ひっそりとたたずんでいる感じでした。ちなみに、京都の清涼寺に豊臣秀頼の首塚があります。では、淀殿はどこへ・・・・(ー_ー?)どこ?
大阪城は、とても広いので、今回はここまでしか見られませんでした。広いといっても現在の大阪城は豊臣時代から比べると随分小さいようです。
歴史の世界によると
『この城は、外郭は、はるか北のほう淀川にそい、西は東横堀を外濠とし、いま三越百貨店の傍の高麗橋をもって正門とし、南は道頓堀から玉造にまでおよぶ空濠をめぐらし、まわりはおよそ三里、日本史上空前絶後の巨城である。
(中略)
城内がいかに広かったかということは、元和元年の夏ノ陣の時に、城兵十万余が籠っていたことでもわかるし、そのほか婦子女だけでも一万はいた。一城をもっていまの中都市程度の人口を収容していた。
歴史を変えた黄金の城より』
と書かれています。
更にウィキペディア(Wikipedia)の大阪城には
『徳川氏の大坂城は、城郭の広さは豊臣時代の4分の1の規模になり小さくなったが・・・・』
と書かれている。
初期の大阪城は想像できないほどの大きさです。
大阪城地図↓
次回大阪城に行った時は、時間をかけて今回見れなかった所を見て回りたいです。
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