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歴史

時代祭雑記

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時代祭(室町時代列)でも書いたように新しく室町時代列が創設されました。その列の中、室町幕府執政列の中心人物は誰だろう?

足利尊氏ではないにしろ三代将軍義満?最後の将軍義昭?で結局足利何将軍?と調べましが、答えはただの足利将軍という名前でした。

足利将軍↓

足利将軍

幕末志士列では桂小五郎、織田公上洛列では織田信長などと個人の名前で参列していますが、室町幕府執政列を見るとやはり今でも根強く尊氏は逆賊という考えが残っているみたいです。

桂小五郎↓

桂小五郎

織田信長↓

織田信長

今回初めて室町時代列が登場するという事で、尊氏直系の子孫の方が見に来られていたそです。東京新聞の栃木版に詳しく書かれています。

その中で、『われわれ一族は歴史の犠牲となって長く耐え忍んできた。ようやく真実が伝わったと思う』と言われている所が興味深いです。

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時代祭(室町時代列)

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今年2007年より時代祭行列に新しく室町時代列が加わりました。室町時代列は、室町幕府執政列室町洛中風俗列の二列で構成されています。

延暦時代から明治維新まで、京都の歴史を再現する時代祭行列には、室町幕府を開いた足利尊氏が逆臣であるとの理由で、室町時代が省かれていました。

新しい列が加わるのは41年ぶりだそうで、これで時代がつながった感じです。

室町時代列↓

室町時代列

室町時代列

室町時代列

室町時代列

今回は位置取りが悪く良い写真が撮れなかった・・・・

この場所は期待できないので、ベストポジションの建礼門正面へ移動だ!場所は確保出来ないと思うけど・・・

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六道珍皇寺と幽霊飴

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六道珍皇寺の始まりは、鳥部氏の氏寺説や、空海の師慶俊僧都が創建した説などがありはっきりとはしていません。

現在は、臨済宗建仁寺派に属し”六道さん”の名称で親しまれています。

境内には、鐘楼や閻魔・篁堂があります。

鐘楼↓

鐘楼

鐘楼の中には、一打で十万億土に響き渡ると言われている”迎え鐘”があります。お盆の六道まいりでは、精霊を迎える為に多くの人が”迎え鐘”を撞きに来ます。

閻魔・篁堂↓

閻魔・篁堂

普段は上の写真の様に閉められていますが、六道まいりの時には大きく開かれ、中の閻魔大王座像・小野篁像が見れます。

閻魔大王座像・小野篁卿立像↓

閻魔・小野篁像

閻魔大王座像↓

閻魔大王座像

小野篁卿立像↓

小野篁卿立像

小野篁(おののたかむら)は、嵯峨天皇に仕えた平安時代の政治家で、昼は朝廷に仕え、夜は閻魔大王に仕えた伝説を持っています。

境内には、小野篁が閻魔大王に仕える為、あの世とこの世の往来に使ったとされる井戸があります。

篁冥土通いの井戸↓

篁冥土通いの井戸

篁冥土通いの井戸

掲げられた説明によると

『篁冥土通いの井戸

当寺の本堂裏庭の北東角にある井戸は、平安時代の昔に篁が冥府の閻魔庁の役人として現世と冥府の間を行き来するのに使ったところといわれている。

言い伝えによれば、篁は亡き母御の霊に会うために、この鳥辺野にある当寺を訪れ、冥土に通じるといわれるこの井戸を使ったのが最初と言われている。

(中略)

その帰路の出口として使いこの世に戻ったところが、嵯峨の大覚寺南付近の六道町の一郭に明治の初め頃まであったとされる福生寺の井戸であるとする説もある。

しかし、残念ながら今はその遺址もなく、井戸の伝承はかつての福生寺の本尊として伝わる地蔵菩薩とともに清涼寺西隣の薬師寺に引き継がれている。

これは、平安の昔には珍皇寺あたりの洛東の鳥辺野とともに嵯峨の奥、化野(あだしの)もまた当時の墓所であったことより、ここにもやはり六道の辻は存在していたとすれば、閻魔王宮に出仕していた篁が、冥府よりの帰路に出口としていた説もうなずけるところである。』

と書かれている。

確かに、大覚寺門前には六道町という地名が今でもあります。

洛東の六道珍皇寺の井戸があの世(冥府)の入り口で洛西の福生寺(現在は薬師寺)の井戸が出口だった!(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

ちなみに、今は六道珍皇寺の井戸の中は見れません・・・・・と言うより決して見てはいけないと言われています。

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六道まいり

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清水寺から参道を西に歩いて行くと六道珍皇寺があります。六道珍皇寺では、毎年8月7日から10日の4日間六道まいりが行われます。

六道とは、仏教でいう地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道をさし、命あるものは輪廻転生を繰り返すと言われています。

六道珍皇寺↓

六道珍皇寺

六道珍皇寺

この辺りは六道の辻と呼ばれ、鳥辺野(葬送地)の入り口であった事から昔から”この世とあの世の境目(辻)”と伝えられています。

六道まいりの期間は、多くの人が訪れます。

最初に高野槙を購入し↓

高野槙を購入

高野槙↓

高野槙

境内で法名(戒名)俗名を卒塔婆に書いてもらいます↓

卒塔婆に書いてもらう

次に、迎え鐘を撞く↓

迎え鐘

迎え鐘は、鐘楼の中から出た縄を引いて撞きます。

鐘の音は、十万億土に響き渡り、その音を聞き精霊があの世から戻ってくると言われています。

伝説によると、慶俊僧都が最初にこの鐘を造ったとき、三年間土の中に埋めておくようにと命じて唐に渡ったが、一年半で掘り返され鐘が撞かれてしまった。

唐でその鐘の音を聞いた慶俊僧都は、命じた通り三年間土の中に埋めておけば、撞かずに鳴り響く鐘になったのにと言われたそうです。

\(゜_\)(/_゜)/話を戻して

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大雲院と石川五右衛門

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円山公園の南に大雲院があります。大雲院は、通常拝観は出来ませんが、時々特別拝観という形で公開されます。

大雲院特別公開
期間:平成19年7月14日?9月30日法要等拝観できない場合あり
時間:10時?16時(受付終了)
拝観料:600円

大雲院は、本能寺の変で倒れた織田信長と嫡男信忠の菩提を弔うために建立されたのが始まりで、貞安上人を開山とし、信忠の法名大雲院殿三品羽林仙厳大居士からその名が付けられた。

受付をすませ進んでいくと鐘楼が見えてきます。

鐘楼(右)↓

大雲院

こちらの鐘楼は、豊臣秀頼が北野神社に寄進し後にコチラに移されたものです。

更に進むと本堂で大雲院の説明をされていました。

それによると、大雲院は元々烏丸二条に建立され、その後豊臣秀吉の命により寺町四条に移された。

昭和に入り寺町四条が繁華街となった為、昭和48年高島屋の所有地であった現在の地と寺町四条の地を交換する形で移転してきたそうです。

大雲院のシンボルとも言えるのが祇園閣です。

祇園閣↓

祇園閣

祇園閣は、大雲院が移転する以前に大倉財閥の大倉喜八朗が当初金閣寺の金閣・銀閣寺の銀閣につづく銅閣を造ろうとしたそうです。しかし、結局は祇園祭をかたちどった建物が造られる事になった。

銅閣という発想がすごい!(((((( ;゚Д゚)))))独創的だ・・・・

見上げると・・・・

祇園閣

屋根には鶴↓

祇園閣

大倉喜八朗は、鶴が好きだったらしく鳳凰ではなく鶴になったそうです。

入り口にはライオンの狛犬↓

ライオンの狛犬

ライオンの狛犬?表現が何だか変だ・・・・ (; ̄ー ̄A

しかし、ちゃんと阿吽になっています。

阿↓

ライオンの狛犬

吽↓

ライオンの狛犬

(((((( ;゚Д゚)))))独創的だ・・・・

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