ホーム > タグ > 歴史

歴史

金地院東照宮

このエントリーをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをFC2ブックマークに追加このエントリをNifty Clipに追加このエントリをPOOKMARK. Airlinesに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加このエントリをnewsingに追加Instapaper に保存するRead It Later に保存するこのエントリをつぶやくClip to Evernote

大寧軒の北となりにある金地院へ行っていきました。

金地院

金地院の中興の祖、以心崇伝は徳川家康の参謀として「黒衣の宰相」とも呼ばれた人物です。境内には、家康を祀る東照宮があります。

明智門をくぐり、拝観順路どうり細い道を歩いて行くと、真っ直ぐと続く東照宮参道があらわれます。

東照宮参道

全文を読む

光秀まつり

このエントリーをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをFC2ブックマークに追加このエントリをNifty Clipに追加このエントリをPOOKMARK. Airlinesに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加このエントリをnewsingに追加Instapaper に保存するRead It Later に保存するこのエントリをつぶやくClip to Evernote

光秀まつりを見に亀岡へ行ってきました。

JR亀岡駅を降りると北に保津川下りの亀岡乗船場が見えます。

亀岡乗船場↓
亀岡乗船場

反対に南には丹波亀山城址の森が見えます。

丹波亀山城址

丹波亀山城址↓
丹波亀山城址

1878(明治2)年までこの地は亀岡ではなく亀山と呼ばれていました。亀山城は、丹波を平定した明智光秀が天正年間(1573年~1592年)に築いたのが始りで、後に1610(慶長15)年藤堂高虎によって完成しました。1610年から400年後ということで今年(2010年)は特別に和歌山から紀州雑賀鉄砲衆を招いて第38回亀岡光秀まつりが行われました。

全文を読む

池田屋事件

このエントリーをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをFC2ブックマークに追加このエントリをNifty Clipに追加このエントリをPOOKMARK. Airlinesに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加このエントリをnewsingに追加Instapaper に保存するRead It Later に保存するこのエントリをつぶやくClip to Evernote

池田屋事件(騒動)とは、元治元年6月5日新撰組が池田屋に集結していた尊皇攘夷派の志士を襲撃した事件です。

事件の発端は、6月5日早朝古高俊太郎(枡屋喜右衛門)を新撰組が捕らえ壬生の屯所の連れて行き、拷問の後「6月20日前後の風の強い日、御所に火を放ち、その混乱に乗じて会津の松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去る」というクーデター情報を聞き出したことに始まる。

古高俊太郎邸跡

京都府京都市下京区順風町311

この地は、古高俊太郎が枡屋という道具屋をかまえながら、ひそかに勤王志士とまじわり、武器を集め倒幕の拠点としていた場所です。

全文を読む

坂本龍馬ゆかりの地(後編)

このエントリーをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをFC2ブックマークに追加このエントリをNifty Clipに追加このエントリをPOOKMARK. Airlinesに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加このエントリをnewsingに追加Instapaper に保存するRead It Later に保存するこのエントリをつぶやくClip to Evernote

坂本龍馬ゆかりの地(前編)からつづき

おりょう独身時代寓居跡から北へ歩く。三条通から一筋南の通り(通称龍馬通り)に龍馬がかくまわれていた酢屋があります。

酢屋↓

酢屋

酢屋は、288年続く材木商で、当時主人が近くの土佐藩邸に出入りしている縁で龍馬をかくまうことになったそうです。現在の建物は、改装されていますが当時のおもむきを残しています。上の写真、左に見える格子の部屋に龍馬はいたそうで、海援隊本部としも使われていたそうです。ちなみに、二階の部屋から龍馬がピストルを撃ったという逸話も残されています。(むちゃするな・・・・ ^^;)

龍馬は、この部屋で姉あてに最後の手紙を書いたそうです。手紙の移しは酢屋の二階「ギャラリー龍馬」(入場料500円)で見ることが出来ます。

酢屋の前には坂本龍馬寓居跡↓

坂本龍馬寓居跡

酢屋から西へ歩き、河原町通りを南に歩いて行くと坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地碑があります。

坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地碑(近江屋跡)↓

坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地碑

京都府京都市下京区木屋町通四条下る斎藤町127

酢屋にいては危ないという事で土佐藩御用達の醤油商・近江屋に移ります。しかし、1867(慶応3)年11月15日夜坂本龍馬と中岡慎太郎は何者かに襲われてしまいます。

新創社の京都時代MAP 幕末・維新編にある坂本龍馬暗殺によると。

坂本龍馬暗殺(一部省略)

その夜、近江屋で何が起こったか

数名の武士が十津川郷士と名乗って龍馬に会いに来た。二階の奥の部屋には手前に中岡、行灯と火鉢を挟んで龍馬が向かい合っていた。受け取った名刺を見ていると、藤吉について上がってきた武士が突然「コナクソ」といって中岡を斬り付けた。

龍馬は床の刀を取り、鞘を付けたまま受け止めるが、力に押されて背中を肩から脇へ斜めに斬られ、乱闘のうちに額を斬られてしまった。

龍馬と中岡が動かなくなったのを見て武士の一人が「もうようい、もうようい」と言うと全員が立ち去った。

暗殺者たちが出て行くと、龍馬は行灯をもって階段の側まで行ったが「石川(中岡の変名)刀はないか」と何度か叫んでそのまま力尽きてしまった。

と書かれている。

暗殺者が誰なのか今でも謎のままです。ちなみに、この時まきぞいになった藤吉のお墓は京都霊山護国神社の坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓の隣にあります。

京都時代MAP 幕末・維新編
京都時代MAP 幕末・維新編
新創社

ここから、少し離れますが三条通りにある東山ユースホテルの前に坂本龍馬・おりょう結婚式場跡があります。

全文を読む

坂本龍馬ゆかりの地(前編)

このエントリーをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをFC2ブックマークに追加このエントリをNifty Clipに追加このエントリをPOOKMARK. Airlinesに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加このエントリをnewsingに追加Instapaper に保存するRead It Later に保存するこのエントリをつぶやくClip to Evernote

京都には、坂本龍馬ゆかりの地がたくさんあります。特に、木屋町通りぞいに集中して点在しています。河原町木屋町から北へ順に見ていきます。まず最初に見えてくるのが土佐藩邸址です。

土佐藩邸跡↓

土佐藩邸跡

京都府京都市東山区三条通白川橋東入五軒町112

橋を渡り少し西へ歩くと土佐稲荷岬神社があります。

全文を読む

ページ 1 / 1612345...10...最後 »

Home > Tags > 歴史

  • Twitter
  • RSS
蛤御門の変 船岡大祭 貴船祭 トロッコ列車と保津川下り(前編) 仁和寺(お花見) 流鏑馬神事 京都嵐山花灯路 祇園祭・宵山 松尾大社・節分大祭 京都御所秋季一般公開 苔寺へ行ってきました! 嵯峨大念仏狂言・土蜘蛛 雪の金閣寺 法然院(もみじ狩り) 五山送り火(鳥居形と広沢の池) オススメ!京都紅葉の名所10箇所 明智光秀(前編) オススメ!京都桜の名所10箇所 淀川河川公園背割堤(2010年お花見) オススメ!京都名庭園10箇所 嵐電桜のトンネルライトアップと平野神社の夜桜 時代祭(室町時代列) 賀茂曲水宴 岡崎桜回廊十石舟めぐり(前編)
アクセスランキング
オススメエントリー
最近のエントリー
カテゴリ
過去記事
タグクラウド
最近のコメント
トラックバック
このブログについて
携帯サイト

QRコード

運営サイト
リンク
ブックマーク
RSS Feed