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本能寺
明智光秀(後編)
- 2009-06-02 (火)
- 歴史













明智光秀(前編)からの続き
1582(天正10)年6月2日朝、本能寺の変で信長を殺した明智光秀は、その日のうちに信長の居城安土城を目指す。
ここからは学研の激震織田信長を参考に、本能寺の変以降の光秀の軌跡を追ってみます。

激震織田信長―破壊と創造の戦国覇王 (歴史群像シリーズ戦国セレクション)
学研
6月2日(晴)
光秀は、未刻(午後二時)、急遽兵を率いて大津通(東海道)を下り、近江に向かった。
6月3日(雨)
毛利軍と対峙していた秀吉が本能寺の変を知る。
6月4日(晴)
秀吉は毛利軍と和議をし、京へ向かう準備をする。(中国大返し)
一方、光秀は安土城到着。
6月5日(雨)
安土城に入城し金銀財宝を部下や京都五山などに分け与える。
6月6日(雨)
秀吉姫路に進軍。
6月7日(晴)
朝廷が光秀の覇権を認知。
6月8日(晴・夜大雨)
光秀摂津へ進軍。
6月9日(晴)
細川親子、光秀の誘いを拒否。
細川藤孝は、いわば光秀の盟友、しかも藤孝の子忠興には光秀の娘(細川ガラシャ)を嫁がせている。まさかの拒否に光秀は焦る。
6月10日(晴)
秀吉軍、近日出現のうわさ。光秀は、秀吉軍は毛利軍と膠着状態で動けないと考えていた。
6月11日(雨)
光秀、山崎に進軍。
6月12日(晴)
秀吉、摂津に到着。秀吉明智両軍、円明寺川を挟んで対峙。
6月13日(雨)
山崎の戦い(天王山の戦い)。光秀は惨敗し勝竜寺城に退却。その夜、居城の坂本城を目指したが、途中農民の襲撃にあい討たれてしまう。
勝竜寺城↓

勝竜寺城は、現在公園として使われています。
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本能寺
- 2006-05-11 (木)
- 京都探索記(洛中)













京都市役所の南側に本能寺があります。
”本能寺の変”で知られる本能寺は、日本の歴史上最も重要かつ有名なお寺と言ってもいいのではないでしょうか。
本能寺は、織田信長が上洛の際に宿舎として使っていたお寺の一つで、かつては四条西洞院辺りにありました。
当時の本能寺は、広大(寺域東西約110m南北約220m)で周囲には堀がめぐらされていたそうです。
本能寺↓
注目すべきてんが一つ、それは本能寺の”能”の文字です↓
”能”の右部分が、縦に「ヒ」「ヒ」ではなく、「ヒ」を重ねたような「去」の字が使われています。
これは、度重なる大火にあった本能寺が「ヒ」(火)をきらい、「去」の文字をあてたそうです。
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