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坂本龍馬
坂本龍馬ゆかりの地(後編)
- 2010-01-18 (月)
- 歴史
坂本龍馬ゆかりの地(前編)からつづき
おりょう独身時代寓居跡から北へ歩く。三条通から一筋南の通り(通称龍馬通り)に龍馬がかくまわれていた酢屋があります。
酢屋↓

酢屋は、288年続く材木商で、当時主人が近くの土佐藩邸に出入りしている縁で龍馬をかくまうことになったそうです。現在の建物は、改装されていますが当時のおもむきを残しています。上の写真、左に見える格子の部屋に龍馬はいたそうで、海援隊本部としも使われていたそうです。ちなみに、二階の部屋から龍馬がピストルを撃ったという逸話も残されています。(むちゃするな・・・・ ^^;)
龍馬は、この部屋で姉あてに最後の手紙を書いたそうです。手紙の移しは酢屋の二階「ギャラリー龍馬」(入場料500円)で見ることが出来ます。
酢屋の前には坂本龍馬寓居跡↓

酢屋から西へ歩き、河原町通りを南に歩いて行くと坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地碑があります。
坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地碑(近江屋跡)↓

酢屋にいては危ないという事で土佐藩御用達の醤油商・近江屋に移ります。しかし、1867(慶応3)年11月15日夜坂本龍馬と中岡慎太郎は何者かに襲われてしまいます。
新創社の京都時代MAP 幕末・維新編にある坂本龍馬暗殺によると。
坂本龍馬暗殺(一部省略)
その夜、近江屋で何が起こったか
数名の武士が十津川郷士と名乗って龍馬に会いに来た。二階の奥の部屋には手前に中岡、行灯と火鉢を挟んで龍馬が向かい合っていた。受け取った名刺を見ていると、藤吉について上がってきた武士が突然「コナクソ」といって中岡を斬り付けた。
龍馬は床の刀を取り、鞘を付けたまま受け止めるが、力に押されて背中を肩から脇へ斜めに斬られ、乱闘のうちに額を斬られてしまった。
龍馬と中岡が動かなくなったのを見て武士の一人が「もうようい、もうようい」と言うと全員が立ち去った。
暗殺者たちが出て行くと、龍馬は行灯をもって階段の側まで行ったが「石川(中岡の変名)刀はないか」と何度か叫んでそのまま力尽きてしまった。
と書かれている。
暗殺者が誰なのか今でも謎のままです。ちなみに、この時まきぞいになった藤吉のお墓は京都霊山護国神社の坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓の隣にあります。

京都時代MAP 幕末・維新編
新創社
ここから、少し離れますが三条通りにある東山ユースホテルの前に坂本龍馬・おりょう結婚式場跡があります。
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坂本龍馬ゆかりの地(前編)
- 2010-01-16 (土)
- 歴史
京都には、坂本龍馬ゆかりの地がたくさんあります。特に、木屋町通りぞいに集中して点在しています。河原町木屋町から北へ順に見ていきます。まず最初に見えてくるのが土佐藩邸址です。
土佐藩邸跡↓

橋を渡り少し西へ歩くと土佐稲荷岬神社があります。
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坂本龍馬のお墓
坂本龍馬のお墓は、京都霊山護国神社にあります。

龍馬のお墓は山の一番高い場所ではなく山の中腹、ちょうど京都市内が一望できる場所にあります。
坂本龍馬(左)と中岡慎太郎(右)のお墓↓

坂本龍馬のお墓↓

立て札によると(一部略)
坂本龍馬・中岡慎太郎の最後
坂本龍馬は、洛中においては河原町三条下る酢屋嘉兵衛方に寓居していたが、遭難10日前に醤油屋商近江屋新助方に転居した。
慶応三年(1867年)10月15日、午後6時ごろ中岡慎太郎が訪問。
この2、3時間後、会談中の彼らは刺客の襲撃に遭い、坂本龍馬は額を横に斬られ、二の太刀は右の肩から左背骨にかけ、三の太刀で更に前頭部を裂かれて悲痛な一言を残して倒れた。盟友・中岡慎太郎も全身に刀傷を負い、二日後の17日の夕刻に息を引き取った。
坂本龍馬。志士中の一級志士と云っても過言ではない。
と書かれていました。
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寺田屋
寺田屋の歴史は長い。
パンフレットには(一部抜粋)
『寺田屋は、その祖百姓伊助が慶長2年に現在の地伏見京橋に移って船宿を開き、出身の寺田村の村名を採り「寺田屋」と号したと伝えられています。』
と書いてある。
慶長2年といえば関ヶ原の戦いの3年前安土・桃山時代になる、しかも寺田屋は、現在でも旅館として営業している事に驚かされる。
昔の寺田屋の浜↓
現在はこんな感じです↓
奥に見える建物が寺田屋です↓
今では、期間限定で十石舟・三十石舟が運行されている↓
寺田屋↓
玄関には寺田屋と坂本龍馬の表札↓
寺田屋は、昼間史跡博物館として公開されています。
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円山公園(お花見)
- 2006-04-04 (火)
- 桜めぐり
京都で最も有名な公園である円山公園は、京都市内最古の公園です。
平安時代は、この辺り一帯が真葛ヶ原(まくずがはら)と呼ばれ、江戸時代には慈円山安養寺(じえんざんあんようじ)から円山(まるやま)と呼ばれるようになりました。
明治時代以降京都市が管理し、現在は回遊式日本庭園になっています。
八坂神社に隣接する円山公園内には、祇園祭の山鉾(12町内)の倉庫があります。
山鉾の倉庫↓
山鉾は、祇園祭の宵山になると倉庫から出され各町内で組み立てられます。
山鉾の倉庫から東(山の方)へ歩いて行くと坂本龍馬と中岡慎太郎像がある。
坂本龍馬と中岡慎太郎像↓
立っているのが坂本龍馬、座っているのが中岡慎太郎です。
円山公園中央には、大きな枝垂桜がある。
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