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京都観光研究所ブログ![お祭・グルメ情報や桜・紅葉の名所を綴る京都日記]

嵯峨祭(後編)

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嵯峨祭(前編)からの続き

大覚寺では、二基の御神輿(愛宕・野宮)を前に祈祷が行われます。

祈祷

祈祷

祈祷

祈祷動画

大覚寺で一時間ほど休憩した後、剣鉾から嵐山の嵐亭前を目指して出発します。

剣鉾差し↓

剣鉾差し

剣鉾差し

後姿も美しいです。

剣鉾差し動画

剣鉾差しは見た感じ、腰で持って腰で剣鉾をまわすような印象です。片足を上げながら剣鉾を立てバランス良く進むのは難しそう。

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嵯峨祭(前編)

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京の歳時記嵯峨祭を追加しました。

嵯峨祭は、5月第3日曜日に神幸祭、翌週に還幸祭が行われます。神幸祭は、還幸祭のための準備が殆んどで、見物するには還幸祭がメインになります。

嵯峨祭について京都新聞にこの様な記事が載っていました。

京都新聞より抜粋

『嵯峨祭の起源は、平安時代に棲霞寺(せいかじ)(現清凉寺内)で行われていた「惣社(そうじゃ)の祭り」だと指摘。

室町時代初期に南朝とつながりの深い大覚寺が、幕府の支援を受けて勢力を伸ばす天龍寺をけん制するため、清凉寺や愛宕権現、野宮神社を巻き込む「非禅宗連合の象徴」として発展させたと分析した。』

天竜寺 VS 大覚寺清凉寺・愛宕権現・野宮神社連合

か・・・・そういえば天竜寺について以前読んだ”街道をゆく〈26〉嵯峨散歩、仙台・石巻”の中の”夢窓と天竜寺”には

街道をゆく〈26〉嵯峨散歩、仙台・石巻より一部抜粋

『果てもない乱のあげく、後醍醐天皇は吉野で崩じた。

夢窓国師は足利尊氏に、

「菩提のため巨刹を建ててはどうか」

と提案した。造寺そのものよりも、造寺をすることで双方(後醍醐天皇と足利尊氏)の妄執が昇華されることを望んだのにちがいない。

尊氏は、大いに賛同し、天竜寺が大いに興る事になる。天竜寺の成立は、世間の耳目にとって、まことに華やかなものだった。

(中略)

天竜寺船は、二艘だった。秋(1342年)に博多を出、翌年夏に返ってきて、約束どおり至本は5千貫文をおさめた。

航海はそれっきりだが、天竜寺船が歴史上で有名になったのは、元という異民族王朝と正規に貿易をした皮切りということであり、もう一つは、いわば国立といっていい巨大寺院を建てるのに、商業手段を用いたてんである。』

と書かれている。

大覚寺統の後醍醐天皇(南朝)と持明院統の足利尊氏(北朝)との確執から、大覚寺天龍寺に対する対抗意識となり嵯峨祭が出来たのかもしれないです。

街道をゆく〈26〉嵯峨散歩、仙台・石巻 (朝日文庫)
街道をゆく〈26〉嵯峨散歩、仙台・石巻 (朝日文庫)
司馬 遼太郎

\(゜_\)(/_゜)/ 前置きは置いといてと

神幸祭の日、御旅所へ行ってみると愛宕神社の火迺要慎の御札が売っていました。愛宕山まで登っていくことを思えば・・・・今買っておこう。

火迺要慎の御札↓

火迺要慎の御札

御旅所の人に嵯峨祭の予定コースなどを聞いてみたら、中へ入れてもらえました。部屋の中には、昔の嵯峨祭の様子を描いた嵯峨祭絵巻が飾られていました。写真を撮ってもいいとの事で少し撮らせていただきました。

嵯峨祭絵巻↓

嵯峨祭絵巻

嵯峨祭絵巻

絵を良く見てみると二基の御神輿(愛宕・野宮)と剣鉾は同じものの、現在では見られない走り馬・大名行列・風流作り物・母良武者行列・風流踊・風流汐汲み・花篭の作り物・高野聖の風流・大名の狩場行列・馬長行列などが描かれています。

当時は、非常に大きなお祭だったことがうかがえます。しかも、剣鉾には蓮・桜・橘と書かれている。現在の剣鉾(麒麟鉾・龍鉾・澤潟鉾・菊鉾・牡丹鉾)とは種類も本数も違うみたいです。

還幸祭へ・・・・

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葵祭(下鴨神社)

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5月15日、葵祭を見に下鴨神社へ行ってきました。京都御所上賀茂神社では葵祭行列を見たことがありますが、下鴨神社では初めてです。

下鴨神社へは、二時間前に到着。全体的にまだ人は少なめに感じましたが、予定到着時間30分前には人がいっぱいです。葵祭行列は糺の森を通り本殿に向かって進みます。

糺の森↓

糺の森

糺の森の片側に有料席が作られています。下鴨神社は、京都御所と比べると有料席が少なく、無料で見れるスペースも少ないので、事前に有料席を購入しなければ葵祭行列をみるのが厳しいです。

とりあえず本殿に参拝しよう・・・・

下鴨神社

下鴨神社

と思ったのですが、立ち入り禁止になっていました。

楼門↓

楼門

楼門前には席が作られています。どうやら、この場所で社頭の儀が行われるみたいです。

予定では、11時40分に糺の森に到着。しばらく待つと乗尻を先頭に葵祭行列がやってきます。

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松尾祭・還幸祭(後編)

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松尾祭・還幸祭(前編)からの続き

松尾大社にはまだ御神輿は到着していませんでした。

松尾大社

境内はライトアップがされていました。

ライトアップ

神輿庫は開けられ御神輿を入れる準備がされています。

神輿庫↓

神輿庫

そろそろ御神輿が来そうだ、松尾大社を出て松尾橋へ・・・・・ε=ε=┌(; ・_・)┘

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松尾祭・還幸祭(前編)

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京の歳時記松尾祭・還幸祭を追加しました。

還幸祭は、三週間前の松尾祭・神幸祭が”お出で”と言われているのに対し、”おかえり”と言われています。また、葵と桂を身に付ける事から別名”松尾の葵祭”とも言われています。

葵祭と言えば、下鴨神社上賀茂神社賀茂祭(通称:葵祭)が有名です。どちらも、葵の葉を身につける事から葵祭と言われていますが、単に偶然の一致ではないようです。

賀茂氏と秦氏でも書きましたが、松尾大社の秦氏と賀茂社の賀茂氏は、どうやら婚姻関係で結ばれていたようです。

\(゜_\)(/_゜)/ 前置きはさておき

旭日の杜で待っていると、遠くで威勢の良い掛け声が聞こえてくる。しばらくすると最初のお神輿大宮社がやってきました。

大宮社

大宮社

大宮社

大宮社だけ丘に上がり差し上げを行います。大宮社は、松尾御本社二柱(大山咋神と市杵島姫命)を祀るから他の5基の御神輿より特別なのかもしれません。

徐々に御神輿が集まってきました。

旭日の杜に集まる御神輿

6基の御神輿と唐櫃が揃うと、一時間ほど祭典が行われます。祭典が終わると京都中央卸売市場ちかくの朱雀御旅所に向かわれます。

ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ・_・)┘ 朱雀御旅所へ先回りだ!

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