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六道珍皇寺と幽霊飴

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六道珍皇寺の始まりは、鳥部氏の氏寺説や、空海の師慶俊僧都が創建した説などがありはっきりとはしていません。

現在は、臨済宗建仁寺派に属し”六道さん”の名称で親しまれています。

境内には、鐘楼や閻魔・篁堂があります。

鐘楼↓

鐘楼

鐘楼の中には、一打で十万億土に響き渡ると言われている”迎え鐘”があります。お盆の六道まいりでは、精霊を迎える為に多くの人が”迎え鐘”を撞きに来ます。

閻魔・篁堂↓

閻魔・篁堂

普段は上の写真の様に閉められていますが、六道まいりの時には大きく開かれ、中の閻魔大王座像・小野篁像が見れます。

閻魔大王座像・小野篁卿立像↓

閻魔・小野篁像

閻魔大王座像↓

閻魔大王座像

小野篁卿立像↓

小野篁卿立像

小野篁(おののたかむら)は、嵯峨天皇に仕えた平安時代の政治家で、昼は朝廷に仕え、夜は閻魔大王に仕えた伝説を持っています。

境内には、小野篁が閻魔大王に仕える為、あの世とこの世の往来に使ったとされる井戸があります。

篁冥土通いの井戸↓

篁冥土通いの井戸

篁冥土通いの井戸

掲げられた説明によると

『篁冥土通いの井戸

当寺の本堂裏庭の北東角にある井戸は、平安時代の昔に篁が冥府の閻魔庁の役人として現世と冥府の間を行き来するのに使ったところといわれている。

言い伝えによれば、篁は亡き母御の霊に会うために、この鳥辺野にある当寺を訪れ、冥土に通じるといわれるこの井戸を使ったのが最初と言われている。

(中略)

その帰路の出口として使いこの世に戻ったところが、嵯峨の大覚寺南付近の六道町の一郭に明治の初め頃まであったとされる福生寺の井戸であるとする説もある。

しかし、残念ながら今はその遺址もなく、井戸の伝承はかつての福生寺の本尊として伝わる地蔵菩薩とともに清涼寺西隣の薬師寺に引き継がれている。

これは、平安の昔には珍皇寺あたりの洛東の鳥辺野とともに嵯峨の奥、化野(あだしの)もまた当時の墓所であったことより、ここにもやはり六道の辻は存在していたとすれば、閻魔王宮に出仕していた篁が、冥府よりの帰路に出口としていた説もうなずけるところである。』

と書かれている。

確かに、大覚寺門前には六道町という地名が今でもあります。

洛東の六道珍皇寺の井戸があの世(冥府)の入り口で洛西の福生寺(現在は薬師寺)の井戸が出口だった!(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

ちなみに、今は六道珍皇寺の井戸の中は見れません・・・・・と言うより決して見てはいけないと言われています。

この辺りには、もう一つ有名なお話があります。

以前下鴨納涼古本まつりで買った本『京都の伝説』の中に『飴かい幽霊』と言うお話があります。

飴かい幽霊(要約)

『飴かい幽霊

阿弥陀ヶ峰のふもとを、古くから山の名にちなんで、鳥辺野、または南のほうのふもとを、鳥部野と呼んでいたのです。

そしてここは、鳥のなかぬ日はあっても、鳥辺野の煙の見えぬ日はない、といわれているように、ここは昔から名高い京の都の墓場だったのです。

その鳥辺野の近いところに、いつごろでしょう、一軒の飴屋がありました。

(中略)

ある日、その飴屋の主人が店を閉めようとすると、誰かが飴を買いに来ました。主人が戸を開けると・・・

月の光を背に受けて、一人の女のひとが影のように立っているではありませんか。顔は月の光でよくわかりませんが、長く垂らした髪といい、肩を落とした姿といい、背筋がぞっとするような、凄いかっこでした。

主人は、女が渡した茶碗に水飴をもると手渡しました。

「3文でけっこうでございます」

女は言われたとおり3文を渡すと、かき消すように姿を消していったのです。

「けったいな女もあるもんじゃ」

と主人は不思議に思いながらその夜は寝ました。

ところが、あくる日の朝、銭箱を開けてみますと、昨夜確かに入れた3文は、いつの間にか木の葉三枚に変わっているではありませんか。

(中略)

毎晩毎晩、飴を買いにくる女についに主人は寝込んでしまいました。その話を聞いた近所の若者達が女を捕まえてやろうと飴屋で待ち構えまえる事にしました。

若者達が、飴を買いに来た女の後をついていくと、鳥辺野へ続く道になります。

「ひょっとすると、あいつは・・・・・」

若者達が考えていたとおりでした。女は鳥辺野の墓と墓の間を、ふらふら歩いているうちに、ふっと、姿を消したのです。

若者達の話を聞いた主人は、あくる日、お寺へ出かけ、これまでの話を詳しく語って聞かせました。

「ううむ。まさかとは思うが・・・・」

和尚は、確か10日ほど前、それらしい若い女を葬った。土葬したと言うのです。

女が消えた辺り行くと、墓の中からかすかに赤ん坊の泣き声が聞こえてくるのです。

「よし、墓を掘り返してみろ」

するとどうでしょう。若い女の死骸の上に、かわいい赤ん坊が、飴をしゃぶりながら、泣いているのです。

女は墓の中で出産した子供のために、夜ごと飴を買いに来たわけです。その赤ん坊は、和尚のもとに引き取られ、修学のかいあって、のちに高僧になったといわれています。』

といったお話です。

女のお墓は鳥辺野、高僧となった息子のお墓伏見にあると言われています。

当時の飴屋さんかどうかわかりませんが、六道珍皇寺から西へ数メートル歩いた所に”幽霊子育て飴”を売っているお店があります。

幽霊子育て飴

幽霊子育て飴

店内↓

幽霊子育て飴

せっかくなので一袋(小300円)を買って帰りました。

幽霊子育て飴↓

幽霊子育て飴

誰もが一度は食べたことあるような、懐かしい素朴な味で美味しかったです。

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コメント:2

sango 07-08-13 (月) 9:09

こないだこの辺りに行ってきました。
ブログネタがあるときはあるで目下先送り中ですが、近日アップの予定。
で、
1:篁卿が使った井戸というのは境内の何処にあるのですか?全然知りませんでした。
2:幽霊子育て飴のお話、初めて聞いたタイプのストーリーを書いておきましたが、随分色々あるんですね。
3年ほど前、未だ今のお店がなかった頃、東大路近くで臨時の店を出していたのですが、そこで(きっとアルバイトでしょうが)赤ん坊をねんねこで背負ったおばさんが飴を売ってました。

りょうたろう 07-08-13 (月) 18:17

篁冥土通いの井戸の場所は、参道からまっすぐに歩くと本堂に突き当たります。そして、本堂沿いに右へ歩いていくと格子越しに(靴を脱いで)見ることが出来ます。(拝観無料)

落語の飴買い幽霊では、主人が7日目に幽霊だと確信するみたいですね。
昔の人は、三途の川の渡し賃として、お墓に六文銭を入れたみたいで、6日目まで一文銭ずつ支払ったが7日目にお金が切れて幽霊であると確信した・・・・。
そして、お墓は高台寺(子大事)だったのではないでしょうか。(ちょっと記憶があいまいです・・・^^;)

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