大阪城(前編)
- りょうたろう
- 2007-06-07 (木) 15:05
- 歴史







京都と大阪は、阪急河原町駅(京都)から梅田駅(大阪)まで乗車時間約45分ほどの距離ですが、大阪の人の多さ・立ち並ぶ高層ビルを見ると京都とはずいぶん違うなと感じます。
大阪での用事を済まし時間が余ったので大阪城を見に行ってきました。
JR大阪城公園駅を下車。
大阪城公園駅前↓
左奥の青いビルがクリスタルタワー↑ 川の向こう左に見えるのが大阪城ホール↓
う?ん、京都では見られない風景だ!
目指すは大阪城。大阪城公園駅より徒歩10分ほどで外堀が見えてきます。
東外堀↓
写真で見るより肉眼で見る方が大きく広く感じます。
外堀を渡り青屋門をくぐると内堀が見えてきます。
青屋門↓
立て札には
『青屋門
大阪城の非常口とも言うべき門で、徳川時代元和6年(1620年)頃に創建。青屋門の名称の由来は大阪本願寺時代、この門付近に青屋町があったことによると推定される』
と書かれている。
内堀↓
内堀も大変大きいです。写真右上のすみに天守閣が少し見えます。
さて、立て札に大阪本願寺時代と書かれていましたが、この地は三度日本史の転換期に登場します。
一度目は、大阪本願寺時代。本願寺の蓮如が山科から大阪城付近に移り大阪本願寺とし織田信長と戦ったが、最後は正親町天皇の勅旨で退く事になった。
二度目は、豊臣大坂城時代。豊臣秀吉が日本無双の堅城として築き上げた大阪城を、城攻めの下手な徳川家康は大坂冬の陣で講和の条件として外濠・内濠を埋めさせ、大坂夏の陣で落城させた。
三度目は、徳川大坂城時代。大阪城にいた最後の将軍徳川慶喜は、鳥羽伏見の戦いが始まると朝敵になるのを恐れ城を抜けサッサと江戸へ逃げてしまった。
司馬遼太郎著(中央公論新社発行)歴史の世界からの中の”歴史を変えた黄金の城”には
『この巨城は、信長以来、つねにあたらしい権力の目標となり、史上数度もその総攻撃の前にさらされた。
しかも、武力によって陥ちたことは一度も無く、つねに政治情勢の変化のために前時代の主権者は、この城を、出ざるをえなかった。
この城が開城するとき、日本史はそのつど、つねに一変した。ふしぎな城ではないか。
歴史を変えた黄金の城より』
と書かれている。
大阪本願寺時代の石碑か何か無いかなと探していると、蓮如上人袈裟がけの松を見つけました。
蓮如上人袈裟がけの松↓
立て札には
『蓮如上人袈裟がけの松
永禄13年(元亀元年)織田信長本願寺に難題を申し入れ遂に石山合戦の発端をなす。11年間攻防の末天正8年3月勅によって和議となる。天正11年豊臣秀吉大阪城を築く。
のち時代は変われども蓮如上人袈裟がけの松の根のみが残りわずかに往昔を偲ぶ。』
と書かれている。
ここから少し歩くと桜門が見えてきます。
桜門↓
桜門は、本丸の正門にあたります。
桜門をくぐると正面に蛸石と呼ばれる巨石が現れます。
蛸石↓
蛸石は、城内最大の巨石で大きさは36畳敷(約60?)厚さ平均0.9m重さ推定130tにもなります。







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