二条城
- りょうたろう
- 2006-03-02 (木) 17:51
- 京都探索記(洛中)







二条城は、徳川家康が上洛を目的に築城させたお城です。
二条城東南隅櫓↓
二条城の主な歴史は以下の通りです。
1600(慶長5)年関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、翌年1601(慶長6)年二条城の築城を命ずる。
1603(慶長8)年二の丸が完成し徳川家康入城。
1611(慶長16)年豊臣秀頼と徳川家康の会見の場として使われる。
1614(慶長19)年大阪冬の陣軍議の場として使われる。
1615(元和元)年大阪夏の陣軍議の場として使われる。
1634(寛永11)年徳川家光入城。
この後二条城には、1863(文久3)年徳川家14代将軍家茂が入城するまで229年もの間徳川将軍の入城は無かった。
1866(慶応2)年徳川家最後の将軍慶喜が二条城で将軍になる。
1867(慶応3)年徳川慶喜が二条城二の丸御殿で大政奉還を発する。
このような歴史を見てみると二条城は、日本史における重要事項決定の場でもあり、徳川家の栄枯盛衰の場とも言える。
二条城入り口の東大手門(重文)をくくり進んで行くと、伏見城の遺構とも言われる唐門(重文)が見えてくる。
唐門↓
唐門の奥に見えているのが二の丸御殿(国宝)です。
二の丸御殿↓
二の丸御殿内にある大広間一の間は、徳川慶喜が大政奉還を発表した部屋で、人形を使い当時の様子を再現しています。
二の丸御殿から二の丸庭園に向かう途中には、2つの釣鐘が置いてある。
釣鐘↓
説明では(要約)
『釣鐘について
この釣鐘は、幕末の政変の時期二条城と北側の所司代との連絡に使われたものです。
(中略)
幕末の政務の場であった二条城と所司代は、幕末の混乱の中、朝廷側との政争で緊迫していた。
薩摩・長州など朝廷側に備え、鳥羽伏見の開戦など非常時の連絡を告げ住民にも知らせるため鳴らされたのです。』
と書いてある。
2つある釣鐘は、二条城と所司代のものみたいです。
当時この鐘の音を聞いた住民は、不安に思ったでしょう。
二の丸庭園↓
二の丸庭園は、池泉回遊式庭園で特別名勝に指定されています。
二の丸庭園から本丸御殿へ・・・・
内濠↓
写真左が本丸の石垣です。
本丸↓
Σ(゜ロ゜;) 以外!これが本丸?
二条城本丸は、元々5層の天守閣でしたが、落雷・大火で消失し、現在の本丸は旧桂宮御殿を移築したものです。
北中仕切門↓
重厚な石垣と門を見ていると、今にも兵士が出てきそう。







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