清明神社
- りょうたろう
- 2005-09-26 (月) 5:00
- 京都探索記(洛中)







安倍清明を祀る清明神社は思いのほか境内が狭いです。
かつては広大な敷地面積を有していたが豊臣秀吉の都市計画により縮小させられたと言われている。
境内では、陰陽師ブームの影響でしょうか修学旅行生など若い方が目に付きます。
清明神社本殿↓
安倍清明は、実際どのような人物だったのでしょう?
清明神社が発行している「清明神社由緒」では(要約)
『清明公は、幼少より御賢明な方で長ずるに及び天文陰陽博士となり朱雀帝より6代の帝に仕えた。
移りゆく星雲を見ては宮中の変事を予知し遠国の吉凶を判断されるなど朝野の信望を寄せられた。』
と書いてある。
6代の帝に仕えるとは、天文陰陽博士として予知能力が優れていただけでなく人間的にも魅力ある方だったのでしょう。
境内を見渡してみると、清明の力で湧き出たと言われる清明井や清明のエピソードを描いた絵などが10枚ほど飾られています。
写真の絵は、エピソードの一つ渡辺綱が鬼女の腕を切り落とす有名な話の一場面です↓
下に書いてある説明には(要約)
『渡辺綱は、一条戻橋で美女に化けた鬼女の腕を切り落とす。
清明に相談した渡辺綱は、鬼の腕を封印。
その後、渡辺綱の母に化けた鬼が腕を取り返しに来るが仁王経によって救われる。』
と書いてある。
一条戻橋と言えば、境内に大正11年から平成7年まで使われていた『一条戻橋』の欄干親柱があります。
一条戻橋の欄干親柱↓
かなりコンパクトになっています (^-^)
現在の一条戻り橋まで行ってみましょう └(=^O^=)┐
現在使われている一条戻り橋は、清明神社より南へ100mほどの所にあります。
現在の一条戻り橋↓
橋は、車二台と歩行者が十分渡れる広さです。
近くにある立て札には(要約)
『918年文章(もんじょう)博士・三善清行が亡くなった時、子の浄蔵が紀州熊野から帰ってみると、葬列が橋の上を通っていた。
浄蔵は、柩にすがり泣き悲しんでいた所、父清行が一時蘇生し言葉を交わした。
この伝説は、戻橋が死者を蘇らせる場と考えられたことを物語る。』
と書いてある。
京都には、有名な霊界スポットがありますが、とりわけ一条戻橋が有名ですね。







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